
「子どもと昆虫採集」
養老孟司館長
私が子どものころは、虫取りは当たり前だった. トンボやセミ、あるいはカニや川魚もたくさん取った.
小学校四年生のときに、はじめて昆虫採集の標本を作った. モノのない時代で、まず箱がない. 壊れたタンスの引き出しを使った. でもそれでは針が刺せない. 箱の底が硬いからである. そこで母親の薬局から、薬ビンのコルク栓をもってきて、それを薄く切り、箱の底にノリで貼り付けた. 標本は並んだけれど、今度は箱のカバーがない. いまならガラスをいれるわけだが、そんな高級なことはできない. 仕方がないから、そのまま学校に提出した覚えがある. おかげで金賞はとれず、銀賞になった.
いまではときどき、子どもに虫取りをやらせるといい、という話を聞く. いいも悪いもない. 子どもとは、虫取りのような遊びをするものなのである. それができなくなっているのが、普通ではないので、虫取りをやらせたら子どもが「よくなる」というようなことではないと思う. つまり虫取りがふつうにできるような環境がなくなったこと、それが根本問題なのである.
というようなことを私がいうのは、虫取りを長年してきたからである. だから環境の変化がわかる. それはなにも自然環境だけのことではない. いまの子どもには塾もあるし、いじめもあるし、子どもなりの付き合いもある. テレビを適当に見ていなければ、友だちと会話もできない. ゲームだって、あるいていどは心得ていなければならない. それが世間の付き合いというものである. それをきちんとやっていたら、虫取りの暇もなくなるではないか. 私が子どもだったころなら、虫取りしか、することがなかったのである.
ではいまの状況は仕方がないのか. 私はそう思っていない. 上手にやれば、私が子どもだったころより、はるかに能率よく、さまざまなことができるはずである. 移動には車があるし、インターネットからは、驚くほどの知識が得られる. ひょっとすると、学校なんて、子どもの勉強の邪魔をするのではないかと思うくらいである.
ただ子どものときから自然に触れていれば、大人になって応用が利く. 私は人生で学ぶべきことの多くを、虫取りで学んだ. なぜそれができたかと考えると、好きで一生懸命にやったからである. おそらくそれが大切なのであろう. 本気でやらなければ、なにも本当には覚えない.
大人の生き方を見ていて、どこまで本気か、と思うことがある. 本当に虫が好きな大人たちは、出世もお金もあまり気にしない. 定年まで平で過ごした虫好きのお巡りさんもいれば、会社員もいる. その人生がダメだったと、私は思わない. たくさんの友人がいて、いまでもちゃんと元気に過ごしている. そういう幸せな人たちって、あんがい世間には少ないんですよ.
(2010.01)
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